君が心配だ、ガストン。

webデザインを学んでいる理系美大生。

先生を過小評価スべし

こんばんは。昨日グラフィックデザイン基礎という授業の打ち上げであいも変わらずしゃべり倒してきました山口です。

さて今日は強烈なタイトルをつけました!先に要点を言っとくと、「先生と自分の間に自分で壁を作るな」って話です。1年生の頃、大学の先生と気軽に話せたらどんなにいいかとは思うけど、勇気がなくて一歩踏み出せない、飲み会とかの場でさえ少し距離は縮まるにしても誰かが話してたらそこに入っていけない…なんて悩みを感じていました。

その悩みを僕がいつもどうやって解決しているのかを書いてみたいと思います。

自分に勇気さえあれば動けるんです。その事実は明白なんです。そこでこんな風に思い込むことにしました。

「このおっさん、ほんとは大したことないんじゃないの?」
そう、目の前にいる憧れの先生に対して過小評価するんです。「こいつはただのおっさんだ」と。こんなに失礼な話は他にありませんが、心の中だけの話なので大いに結構です。いろいろ想像してみましょう。
このおっさんが妻に鼻で笑われているところを。
このおっさんが夜いびきをかいて寝ているところを。
このおっさんがささいなことで一喜一憂しているところを。
ただのおっさんです。ただちょっと自分よりデザイナー歴が長かったり、特殊なスキルを持っているだけです。何年もやってるんだからそりゃそうです。このおっさんも知らないことなんか山ほどあります。そしてその中には自分が知っていることもあります。この部分を飲み会で面白く話せれば先生が自分の話に興味を持ってくれる可能性は大いにあります。(僕は昨日できませんでしたが……)

とにかく自分がびびってしまって先生に話しかけれない場合は先生を過大評価してしまっていると思うんです。だから過小評価してゼロにしましょう。ゼロとは仲のいい友達と同じ感覚です。最低限の敬語と礼儀と態度ができていれば心の中の過小評価は失礼に値しません。むしろ先生は生徒に話しかけてもらいたいからこそ飲み会に来ているし、教育がしたくて大学にいるんだから熱心な学生をそうつき返したりもしないと思います。

それからもう一つ、僕が教授や先生と話すときに心がけていることは、「自分の無知をできるだけ晒す」ということです。

例えば先生が「この時代は今と違って国がデザインを引っ張っていってたじゃないですか」なんて言い出したらおそらく多くの学生の頭に浮かぶのはこんなことです。
「国が、って、どゆこと?具体的に誰が?」
「引っ張っていくってどゆこと?何したの?」
「逆にその時代以外は何がデザインを引っ張ったというの?今はどうなの?」
こんな疑問を全部さらけ出しましょう。ゆとりだろうがなんだろうが知らないものは知らないのです。自分の無知っぷりが平均だろうが極端だろうが自分が知らないことを恥じてはなりません。知識を脳みそに叩きこむ最高のハンマーは「恥」です。赤っ恥をかいた時に入った知識を人は忘れません。(パンツ一丁になって質問するとかではナイヨ!☆)

先生は自分に失望するでしょう。目の前の人間の愚かさに絶望し、呆れ果てるでしょう。でもわかってもいないのにとりあえず頷かれること方がよっぽど話の空振り三振であることに先生も気づくはずです。

「先生の想像を(おそらく)絶するほど学生のレベルが低い」と僕はデ情にいて感じています。先生、こんな素人相手に、つまんないだろうなー、と思います。じゃあ僕たちは成長する必要があります。じゃあそのためには現状を晒さずに隠すことは逆効果です。先生から、「国が、って、どゆこと?具体的に誰が?」の答えを引き出すことが出来ればちょっとは賢くなれるはずです。

さっき出てきた「過小評価して友達と同じ感覚で話す」ということがこれにも言えます。友達の話の中で知らない単語が出てきたら普通に聞くでしょ?それと同じ感覚で聞いた方が得です。

大学に払ってる授業料のうち、授業を聞くことによる発生料金は全体の半分にも満たないと思っています。その大半は「環境」への投資です。先生に毎日なんでも聞ける環境に価値を見出し、活用しましょう。
そのためにも、先生との壁を作らず、無知を晒す。これが大事だと思うのです。

(しまった…おふざけコメントが後半のパンツ一丁しかない……)