君が心配だ、ガストン。

webデザインを学んでいる理系美大生。

Macのキーボードを取り外してみた

こんにちは。アパートの駐輪場にアリが巣を掘っていたので有無をいわさず踏みつぶしたガストンです。

 

ここ最近、愛用しているMac book pro ratine モデル15inch のキーボードの「M」の叩き心地がよろしくなかったりよろしかったりやっぱりよろしくなかったりで、そのあやふやさが逆にイライラしてよりよろしくない次第でした。

 

時々、Mを叩くとぐっと押し返される感じです。キーボードのくせに生意気ね。あなたはあたしにおとなしく叩かれていればいいのよこのM野郎。まあ大抵、押し返されてももっかいしっかり押すと大丈夫なんですが、なんともイライラします。どうもMの下に小石的な何かが入っていて、それがコロコロ動いていて、そいつが良い感じに挟まってる時だけ押しにくくなっている気がします。

下にあると思われるイボチンをどうにか取り除けないかと、キーボードの取り方を調べてみたら、ありました。

 

http://blog.livedoor.jp/bkblues-mac/archives/51323495.html

 

ここの記事を見ながら、どうか取り返しのつかないことにはなりませんようにと願いながら恐る恐るMの奥側(ディスプレイ側)の溝に爪を入れてぐっとすると…

IELTS受けて感動した

こんばんは。風呂あがりにパンツ一丁でブログ書いてると、体にどんな変化があるかっていうと、冷えるね!ガストンです。

 

先日、IELTSという英語の試験を受けて来ました。

IELTSというのはTOEICTOEFLのような世界に自分の英語力を証明するための英語試験で、主にイギリスやカナダなどへの進学に有力です。僕の知り合いの先輩には大学卒業後、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズなどの大学院に進学しようとIELTSの試験を受ける人が数人います。

 

で、このIELTSを受けて身も心もボロボロに打ちのめされ、いかに自分が今まで大学で英語の勉強をしてこなかったかを思い知らされたガストンですが、同時にIELTSという試験にとても好感を持ちました。

 

とりあえずどんな感じだったかをレポ。

 

 

受付〜試験開始まで

新宿から5駅くらいの市ヶ谷というところに会場はありました。身分証明書としてパスポートを提示したり証明写真を会場で撮られたり指紋認証システムまでやるらしかったりと随分厳格な受付システムだなあと思いきや指紋認証システムがなぜか今回だけやらないことになって試験官の人も「なんかやらないらしいですハイ」とか言ってるそんな受付システムでした。

 

会場までの間血眼で参考書を読み漁ってる人もいれば、ただつったってぼーっとしてる人もいました。もちろん僕は血眼でかわいい女の子探しに勤しんでいました。

 

会場案内の時には日本語を話していた日本人スタッフも、試験の説明に入った途端に流暢な英語を話しだしました。そのギャップに萌えるもつかの間、英語による説明が全部聞き取れなくて見事なデレツンを食らわされ試験は始まりました。

 

第一関門【耳の試練】リスニング

うん、むずい。高校のセンター試験とは比べ物にならない。というかまず問題文をパッと見て選択問題が半分くらいしかないことに気づき愕然とする。

 

なんだよ…これ…ライティングしなきゃだめじゃん…

さらにすべての問に関して一回しか聞くチャンスがないと知りまた愕然。

 

なんだよ…よくわかんないまま終わるやつじゃん…

結局まともに戦うこともできずにリスニングは修了。

もう帰りたい\(^o^)/

 

第二関門【目の試練】リーディング

リスニングからほとんど休みの入らぬまま次なる試練リーディングに突入。問題用紙を見るとなんとか気が遠くならずに済みそうな分量の長文が3つ並ぶ。長文問題ならセンター対策でもやったしまだなんとかいけるんじゃないかと思うも、知らない単語多すぎてなんとかいけずにまた撃沈。唯一解けそうに思えた「次の文章はそれぞれさっきお前が読んだ文章とあってるかどうか答えろ」という問題。

 

「これならあってるかあってないかだからまぐれでも50%の確率で当たるぞ!!」

と思ったら選択肢が

 

「あってる」

「あってない」

「そんなのどこにも書いてない」

 

という3択問題であることを知り、これまたオワタ\(^o^)/

 

 

第三関門【手の試練】ライティング

ライティングてどんな試験なんだろ??想像もつかないよー怖いよーと不安を抱えるも問題用紙と解答用紙をひと目見て一件落着。

 

問題用紙には設問が2つしか書かれておらず、「グラフを見てわかることを150ワード以上で説明せよ」という問題と、「最近こういうことが社会問題として取り上げられていますがお前はこれについてどう思うよ?250ワード以上で見解を述べよ」というような問題でした。

 

なるほどなるほど!!ライティングってこんな感じなんだね!!オワタ\(^o^)/!!

…しばらく解答用紙も僕の頭も真っ白のまま数分経過した後、嘔吐するように脳みそから英語を絞り出した。ふぅ… 最終的に時間内に150ワード以上、250ワード以上ちゃんと書けたか確かじゃないがもはや試験の時間をなんとか乗り切っただけで達成感を感じちゃってるあたり、おれオワッテル\(^o^)/

 

第四関門【喉の試練】スピーキング

ライティングまで終わった所で初日の試験は終了。おバカな僕は終了後のアナウンスではじめて知ることになるが、試験は2日間にわたって行われるようだ。生殺しのまま帰路につき、翌日、スピーキングの試験を受けた。

 

受付を済ませると小部屋で名前を呼ばれるまで待つ。しばらくすると外国人(面接官)が定期的にやってきて、受験者の名前を呼んでは笑顔で別室へ連れて行っている。僕の名前が呼ばれてイケメン紳士と別室へ。

 

試験はマンツーマンだった。

最初は軽い自己紹介から始まって、徐々に質問がお固いもの(社会問題に関するものなど)になっていくのは苦しかったが、面接官の笑顔に救われた。その笑顔の裏できっちり点が引かれているのだと思うとやはり苦しかったがそれでもイケメンなのでなんとか現実逃避に成功した。

 

こうして僕の初☆IELTS試験は無事、オワタ\(^o^)/

 

 

 

さてさて、そんなこんなでボロボロだったIELTSですが、それでも最初に好感的だったと言いました。ではいったいIELTSの何が好感的だったのかというと、「ごまかしが効かなさそう」だというところです。

 

もうお気づきかと思いますが、IELTSにはセンター試験にあった発音問題や文法問題などが一切ありません。リーディングは長文のみです。発音問題はスピーキングで自己紹介や質疑応答をしながらチェックされます。こんなスッキリした試験は今までありませんでした。

 

例えばセンター試験。僕は英語のセンター試験の対策はバッチリやっていました。「ここが狙われるポイント!」なんて書かれてあるような文法の参考書を何周もやっていました。すると、模試などを受ける際、文法問題を一目見ただけで「この問題はあの知識がおれにあるかどうかを見ようとしていて、さらにあの手でひっかけようとしてくる」というのがわかるようになります。この辺りから点数がグンと伸び始めました。

 

しかしそんな「対策」をやりながら、僕はずっとその勉強に疑問を抱いていました。なぜなら、「数をこなして、問題を作った人の気持ちを汲み取る」という行為は「勉強」ではないと思うからです。むしろTVゲームに近い。モンスターハンターなんかに近い。場数をこなしていると、だんだんモンスターの動きの癖なんかがわかるようになってくる。ゲームだから敵はプログラミングされた動き以外のことはしてこない。センター試験は、そんな風にある程度「型」が決められた中で行われる茶番とも思えました。

(まあ、できるだけそういうことを考えないようにしたおかげで今ムサビに通えてるわけだけど…)

 

 

しかし型にハマるというのは試験というものの定めなんじゃないかとも思います。「去年は簡単だったけど今年は難しかったぞクソ野郎!!」なんてことが起きないために「ここまでの知識を問おう。これ以上の難しい知識は問わない決まりにしよう」というルールを決める必要がある。

 

しかし英語などの「言語」はもともと、柔道の白帯、黒帯のようにレベル分けされたものではないはずです。例えば2つの単語があって、どっちが難しい、どっちが簡単なんていう基準は実にあいまいなはず。それを無理に「英語力」などと呼んで測ろうとするから「型」が生まれる。学生は、気がつけば「英語」ではなく「型の攻略法」を学んでいた、という事態になる。

言うまでもなく「センター試験で仮定法の文法問題が出た時によくあるひっかけ問題の型」を覚えていたって、その知識は向こうの国では全く役に立たない。そんなことよりも「えっごめん今なんて言ったの?もっかい言って」とか「今お前◯◯って言ったけどおれその単語知らんわ、意味教えて」とかの言い回しを知っている方が遥かに役に立つ。点をとれても英語が話せない日本人が多いといわれるのも、こういうところをおざなりにしているからではないかと思う。

 

IELTSには驚くほど「型」が少ないように感じた。くだらない「攻略法」を学ぶスキがないように思えた。実際に使えるかどうかを直接的に試されている感覚があった。それゆえクソむずいわけだが、そっちの方がずっといい。

 

 

【幹事さんに捧げる】人を集める4つのコツ

こんばんは。恋愛って、当事者が思ってるほど奥ゆかしいものじゃなかったりするよね!ガストンです!

6月8日と9日、オーキャン(オープンキャンパス)がありましたお疲れ様でした。打ち上げ楽しかったです。

 

ところでこないだ後輩に、「新歓(新入生歓迎コンパ)を企画してるんだが、どうすれば人が集まってくれるか」について聞かれまして、淡々と答えていると、なんだかとっても「これ後でブログに書くやーつ」だったので書きマース。新歓にかぎらず色んな企画を立てる上で役に立つかもデース。

 

 

1.直接呼びかけるとだいぶ違う

これめちゃんこ大事ですぜ旦那。直接的に呼びかけるというのは、友達に直接会って「今度の新歓来れる?」と事前に聞くことです。

普通は、ポスターやfacebookで間接的に大人数に呼びかけ、仲のいい友達にだけ直接的に呼びかけますが、これでは集まる人数はたかが知れています。

人というのは、本来、幹事の想像以上に集まらない生き物です。

 

ですが直接的に大人数に呼びかけることによって結構変わってきます。

間接的に呼びかけられただけでは鼻から「おれガストン(幹事)とそんなに仲良くないしなー、、facebookで招待は来たけど実際のところ別におれはお呼びでないんだろなー、、おれなんか行った所で「こいつこういうの来るんだ(笑)」とか思われるんだろうなー、、、、リア充吹き飛べ」ぐらいに受け止められてしまいます。ここまで被害妄想が強くなくとも、多少なりとも「自分がお呼びかどうか」というのは気にしてしまうものです。幹事と面識がない人にとってはこれは結構高い壁です。特に自分がよく一緒にいる友達のグループの誰一人、幹事と面識がない場合はその壁はもはやレッドラインです。てっぺん見えません。でも幹事が、自分と面識がない人も集めたいと思ったらこれが普通です。ここからスタートなんです。

 

しかし間接的にではなく直接的に呼びかけられると、壁はかなり低くなります。レッドラインもなんとか素手で登れるレベルまで標高は下がるでしょう。少なくとも「お呼びである」ということは伝えられます。「あたし行ってもいいんだ」という認識を持ってもらうことは大事です。さあ海賊女帝を開放しに行きましょう。

 

 

 

2.「アイツがいくならオレも行く」の「アイツ」を確保せよ

僕は高校時代から打ち上げの企画なんかをよくやっていましたが、その頃から度々あったのがこんなやりとりです。

 

「こんのん!?」

「他に誰が来るん?」

「今んとこ来るって聞いとんは◯◯と◯◯と◯◯ぐらい…」

「まじかーアイツが行かんのならおれも行かんわ」

「…なんだよそれ!!そうじゃねえだろ!!オメェが来るからアイツも来るんだよ!!

「はっ…!!

 

まあほな行かんわ」

「ヽ(・ω・)/ズコー!!」

 

みたいなね。よくあった。

クラス30人全員集めたかったら、どないかして15人くらい集めれば後は「みんなが行くならおれも行く」の法則で勝手に30人集まるってもんです。

 

となると幹事にとって、最初15人、つまり「アイツが行くならオレも行く」の「アイツ」をどうやって確保するかが大切になります。大学に入ってグループで行動する風潮はかなり減ってはいると思いますが、仲の良い友達が一人もいない集まりに参加することはやはりハードルが高い。

 

そもそも企画の幹事をやりたがる人は大抵、「アイツが行くならオレも行く」なんて言わない人です。つまり自分がよく一緒にいるグループ以外の人とはあまり話さないような人ではなく、色んな人と積極的に話す人であることが多い人です。ですがそれゆえに少数の仲の良いグループと常に一緒にいる人の気持がよくわかりません。

 

なんとなく、自分がわかる範囲でいいので学科全体のグループ構築図を把握し、グループ単位で漏れ無く直接誘いましょう。幹事さんがそんなに知り合いが多くなかった場合は、知り合いが多い人をまず確保し、その人に人集めを協力してもらい、直接呼びかけ大作戦をできるだけ進めます。友達の友達の友達の友達の…というつながり方で学科全員がつながるような網を張れたら上出来です。幹事ではない「呼ばれて参加する側」にとって、最も重要な判断材料は「行って本当に楽しいかどうか」です。仲のいい友達が行くとわかれば当然「楽しそう度」は上がります。

 

人はいつ「行こっかなー」と思うようになるのかというと、廊下でポスターを見た時ではありません。廊下で友達と行くか行かないかの話をしている時です。

 

 

 

3.心が折れないよう仲間を作れ

幹事は一人でやってはいけません。心が折れるからです。

僕はこれといったグループに属していません。お昼ごはんはいつも一人です。寂しいです。

幹事も、正直一人でも頑張れば仕事量的に不可能ではありません。しかし必ず幹事には味方が必要です。どんな味方かというと、もし全然人が集まらなかった時、周りが全員「人集まってねえww幹事おつwww」と笑う中一緒に悔しがってくれる味方です。新歓やりたいよな!と言って協力してくれる人です。

前述しましたが、本当に、人というのは、本来、幹事の想像以上に集まらない生き物です。人が集まらないと幹事はだんだんめげてきます。そんなに仲良くない友達にも直接的に呼びかけて、ちょっとでも迷惑そうな顔をされようものならそれだけでガストン泣き寝入りです。幹事は大変です。

メンタルが折れないよう、「あいつは確実に来るし、新歓やりたいって言ってくれてる」という心の拠り所を確保しておきましょう。

 

 

 

4.snsはガンガン使おう

最後に、これはおまけみたいなもんですが、twitterfacebookなどのツールはガンガン使いましょう。幹事が見落としがちな以外な抜け目は、案外、「えええ知らなかったんですけどお知ってたら行ってたんですけどお」ということが起きうるということです。用は単に情報の拡散です。より広範囲に人を呼びかけるのだとしたら、なるべく早い段階から定期的に何度も繰り返し告知しましょう。新歓ならポスターも貼りましょう。

 

例えば、2週間前から毎晩、twitterfacebookで夜のsnsタイム(個人的に20時から24時のイメージ)に投稿したとします。日が立つに連れ投稿に対するレスポンスは減っていきますが、それでも初めてから1週間後に「その企画の存在初めて知った!行く!」という人がひょっこり現れたりします。「知ってる人にとったらうざい告知なんだろな」という気持ちはぐっと抑えてがめつく宣伝していきましょう。情報というのは、まだ知らない人のためにあるんですから。

 

おっ。デ情っぽいね。

情報というのは、まだ知らない人のためにあるんですから。

いいね。

 

 

 

あ、それからせっかくなんでここで告知しとくと、

今年7月30日(水)と31日(木)でデ情キャンプやります。詳しくはまた告知しますが、デ情全学年対象です。空けといて下さいな。

 

みんなでバーベキューしよーう!!花火しよーう!!青春しよーう!!恋しよ―う!!

恋愛って、当事者が思ってるほど奥ゆかしいものじゃなかったりするよね!!

「ヽ(・ω・)/ズコー!!」

 

ガストンでしたーー!!!!

 

 

 

沸き起こる感情には実は意志がある

ご無沙汰しております。友達に「おれぐっさんのブログ嫌いだわ」と言われつつも咄嗟に「おれ別に構わんし」「別にいいし」と全力で強がったため精神的ダメージを最小限に抑えられたガストンです。

 

人の感情というのは、おそらく人生を通して楽しめる、めちゃんこ面白い研究テーマの一つかと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。僕は感情のコントロールに関していくつか思うところがあります。その中の一つに「人は自ら抱く感情を意識的にあるいは無意識的にある程度誘導している」ということです。

結論から言えば人は、「こういう出来事があったからこういう感情になっている」のではなく、「こういう出来事があったときは自分はこういう感情になる「はず」だ(または、こういう感情になる「べき」だ」、こういう感情に「なった方がよい」)といった予測を立ててある程度自分の感情を誘導しているということです。

 

なぜなら、人は論理的に感情的になっているからです。アホを見るような目で僕を見ないで下さい。

矛盾しているようでこれは当たり前のことです。

 

例えば、僕達は砂漠に咲いた一輪の花を見て感動したり、友達の心なき言葉を聞いて腹が立ったりすることがあります。

これらの感情は心の内側から沸き起こるものですが、その前にまず起こった出来事を目で見たり耳で聞いたりして理解する必要があります。「砂漠は乾燥していて植物が成長しにくい」という予備知識や、言語を理解する能力が無ければ例に出したような場面に遭遇しても感情は沸き起こりません。「人肌の温もりを感じることによる直感的な安心感」などの例外はあれど、当たり前のことですが、「つい感情的になってしまって理性を失う」以前に、理性によって感情の大部分は形成されるのです。目の前で起こった出来事を頭で理解してからそれに相応しい感情が沸き起こるのです。

 

わかりやすい例を出せば、ドラマなどでよくある「後になってわかったけどあの時の彼のあの冷たい態度は実は私を守るためにやっていたのでしたー!!」みたいな展開は、明らかに「気づき(知識)」をきっかけに感情が沸き起こっています。

 

つまり感情の大部分は、体の内側から沸き起こっているように見えて実は目や耳、肌などの五感から入ってきて、脳というフィルターを一度通っていると言えます。

そしてこの脳というフィルターが、その後沸き起こる感情を大きく左右します。

 

例えばさっきの例の続きですが、「彼」の行為の真意に気づいた後に「なのに私ったらあのとき彼にあんなひどいことを言ってしまってああごめんなさいごめんなさい!!」というシーンが安易に予想されます。ちなみに僕の頭に居るのは石原さとみです。この時石原さとみは目の前で起こった「出来事分」悲しむだけで終わらず、「そんな彼に対してこの私ときたら」と思い返すことによって「二次感情」が沸き起こっています。これは「受け取り方」というやつです。

感情は「出来事の理解」「受け取り方による理解」の二部構成で成り立っています。「受け取り方」による二次感情の程度は当然、人それぞれです。

 

例えば友達に「今のお前はまだまだ努力が足りないよ」と言われた時、「何をエラソーに!!ぷんぷん!!」となる人と「あいつはおれのこと想って言ってくれているんだ…よーしがんばろう!!」となる人とがいると思います。このように、同じ出来事であっても、受け取り方によって起こる感情は明らかに違ったものになります。

 

言わずもがな、「出来事の理解」よりも「受け取り方による理解」の方がはるかに大きくその後の感情に影響します。出来事の理解に関しては人の五感や言語能力、一般的な知識を基に構成されますが、受け取り方による理解に関してはその人の人となりや性格、そしてどう受け取りたいか、受け取った後どうなりたいかという願望により構成されているからです。

自分がどんな感情になりたいかの願望なんていちいち考えないよ!と思うかもしれませんが、誰しも経験があるはずです。悲劇のヒロインを演じるというのがそのわかりやすい例です。

 

例えばある女の子が友達にこんな愚痴をこぼしたとします。

「彼があんなひどいことを言った!

私は彼のためにこんなに尽くしているのに!」

と。ここでは

「私はこんなに彼のために尽くしているのに」「受け取り方による理解」です。

彼女はもしかしたら、悲劇のヒロインを演じたいという気持ちが多少なりともあって、彼を悪者にして自分には非がないと自分に言い聞かせたいのかもしれません。

 

友達の愚痴を聞いていたら、「それ、相手も相手だけどお前も悪くない?」とツッコみたくなるという経験は誰にでもあると思います(ちなみに個人的な経験に基づけばこういう場合、実際にツッコんでみると全くの図星といった反応をされるか、やけになって余計に話の内容が感情的なものになっていくかのどちらかです)。

 

受け取り方による理解に多少なりの願望が含まれることは悲劇のヒロインの例に限らず、多くの場面で起こりえます。

 

例えば学校の先生に怒られた時に、それが正論であると心の底ではわかっているが、認めたくない故に先生に対して理不尽にも怒りの感情を抱いたり、あるいは、クラスの友達に避けられていることを認めたくなくて、自分はクラスに溶け込めていると思い込もうとしたり。これらは多くの場合自分を守るために無意識的に行われます。

 

本当に無意識的に感情をある方向へ持っていくようにしているときは、脳内で出来事を整理しようとする時点で、ドラマでヒロインが使っているのを聞いたことがある言葉を演技も含めて脳内再生してみたり、本当は関係性のない過去のストーリーを持ってきたりと様々な手法をとります。人が自身を守るため無意識的に行われる行為は想像以上に巧妙であると、僕は過去の自分を思い出して思います。

感情は自分の気持ちを表現するために起こるのではなく、整理するために起こります。そして整理する時には、自分にとって都合のいいように整理してしまうものです。

 

このように、人の感情は、脳というフィルターを通して理解され、さらに場合によっては無意識的に本心に基づき自分に都合のいいように整理されてからようやく起こると言えます。

 

自分でどれほど自分の本心に気づいているか、気づいていないかはまちまちです。僕自身、小学生だったの頃の自分を思い返すと、自分の非を認めたくなくて自分を叱った先生を平気で非難したりしていました。その時は、自分の非を本心では認めているからこそこんなにイライラするのだ、なんてことには全く気づきませんでした。だから今も、自分の感情に偽りはないか、言い訳しているだけなんじゃないか、などと常に客観視しようと試みてはいますが、時にはたから見ればそれが全くできていないということは大いにあるのだろうと思います。

 

 

 

 

さて、最後にこれだけは書かねば終われないことがあります。

無意識的に本心に基づき自分に都合のいいように整理されてから感情が起こると書いておいて今更ですが、人が人の気持ちを理解しようとするとき忘れがちなのは、そもそも、人の本心そのものが論理的にできていないことがままあるということです。

 

今までここで出した例はどれも「本心の真相」を書いてしまいましたが、いつもこうとは限りません。「こう言いつつも本当はこう思っている」などといった明快な真相が1つ用意されているわけではありません。ですが人は基本的に、物事をできるだけ単純化して理解しようとする傾向があるため、他人に1つの「本心」があると思い込みます。「本当はどう思っているの?」という問いに誰しも答えを持ち合わせているとついつい思い込んでしまいます。ドラマに登場するほとんどの人物には、読み手がストーリーを追いやすくするために、最終的な「本心」が用意されますが、現実では「こういう気持ちもあるし、こういう気持ちもある」というどっちつかずではっきりしないものである場合が、案外多いものだと思います。

 

それでも人は人の気持ちを少しでも理解しようとするから、人の感情は、やっぱり人生を通して楽しめる、めちゃんこ面白い研究テーマの一つかと思います。

 

 

1年生に捧ぐ「サークルの選び方」

こんにちは。ムサビの図書館の本棚壁の天井近くの本入ってないところに本をシュートしたいです。ガストンです。

 

1年生に捧ぐ「サークルの選び方」

◯第一部「サークルはとりあえず行ってから考えろ」

 

こないだデ情の新歓に行って来ました。2次回まで参加してデ情の1、2年生にたっぷり先輩づらして偉そうに喋り倒してご満悦のガストンでしたが、そこで言ったことをここでも1年生または2年生に向けて。

色んな子にこういう風に聞かれました。「サークルなんですけど、あそことあそこでどっちにしようか迷ってて、ただバイトもしてるんで両立しようと思ったらやっぱりあそこは忙しそうだから厳しいですよねー」と。

で、僕は「じゃあどっちもとりあえず入ってみてやっぱ2つのサークルを掛け持つのは無理だと感じたらそこでどっちかのサークルやめればいい」と言いました。

絶対そうした方がいい。

 

忙しさとかそんなん自分にとっての実感が一番大事なんだからいくら先輩に聞いた所で仕方がない。一回入ってみて雰囲気とか忙しさとかゆるさとか色々感じてみることが大事。で、「やっぱ無理だった」と思ったらそこで片方やめればいい。サークル途中から来なくなる人なんてどこのサークルにもざらにいるし、自分にあった居場所を探すためにいろんなものに挑戦することは全然恥ずかしいことじゃない。サークル途中でやめたって誰かに嫌な目で見られることは(たぶん)ないし、あったとしても、ムサビの学生の多くが「ムサビ来てそんな中学生みたいなことしてんのはナンセンスだぜ」って考え持ってると思うから心配しなくていい。

 

それから、自分自身がサークルに求めているものは少なからず入った後に変わってくるから入る前の自分の意見なんてやわやわのひょろひょろということを覚えておくべし。例えばバドミントンしたくてバドミントンサークル(ムサバド)に入ったらそこでできた友達が今までの人生で会ったことないくらい気の合うやつでバドよりもそいつとデザインについて語る方が楽しくなっちゃった!一生の友達に巡り会えたぜ!とか、最初は踊りたくてパフォーマンス団体に入ったけどやってるうちに自分は事務や会計の方がパフォーマンスよりも楽しいし向いてるということに気づいちゃって気がついたらパフォーマンス団体の事務担当になってたなんてことも起こりうる。サークルに入って新しい自分発見、なんてことが本当に起こるんだ。大学にはその辺に人生規模の儲けもんがごろごろしてるんだ。

それをだなお前、「もし忙しくて途中でやめちゃったときに気まずい」なんていう5年後には確実に忘れているであろうどーでもいいことを避けるためにその可能性を最初っから投げ捨てることがどんだけもったいないか!!!ええか、人生がびっくりするぐらいおもろくなりだす瞬間ちゅうもんがあんねん!それは積極性と行動力だけが引っ張ってくんねん!あと運。でもその運も、積極性と行動力が引っ張ってくんねん!だから行きたいサークルの見学行け。課外講座とか展示とかなんでもそうやけど。思いついたら熱が冷める前にできるだけ早く行け。熱が出たら「行く」以外なんも考えるな。

 

以上。第一部「サークルはとりあえず行ってから考えろ」の巻でした。

5分の休憩をアグレッシブに挟んだあとに第二部「忙しいという言葉の意味がよくわかりません」にお進み下さい。

 

1年生に捧ぐ「サークルの選び方」

◯第二部「忙しいという言葉の意味がよくわかりまてん」

 

おれ思うんじゃけどね。忙しいっていう言葉は抽象的すぎて言い訳にしか聞こえないよね。言い訳としては便利だからおれもよく使うけどね←

 

例えば「サークル2つ掛け持ちするのは忙しくて大変そうだー」ってよく言うけど、そのサークルの活動日が綺麗にずれてたら全然問題ないよね。

「いや!それだと毎日サークルになっちゃって課題やる時間なくなっちゃうんですよ!」

ってよく言うけど、それは自分自身の課題をこなす効率の良さと夜寝ずに課題こなす体力によるよね。

 

おれは別にサークルいっぱい入れとか全然言わないし思いもしないし、むしろ大抵のサークルが「息抜き」としてちょうどいいようなもんでちらほら「ガチな」サークルが中にはあるくらいで、サークルを自分の学生生活の中でどういう位置づけにするのかは自分で決めることを勧めるけど、おれがここで言いたいのはサークル選ぶときも履修考えるときも学外活動考えるときもその他いつでも、「忙しい」って言葉を使う時って大抵「なにがどう忙しいか」見えてないことないですか?ってことです。

 

僕は時折、周りから「色んなことをしてて忙しそう」と思われているらしく、「ちゃんと寝てますか?」と時々聞かれます。epa!の総演出やってたときもよく言われました。でもおれ、全然忙しくない自覚があります。だって体力もってるもん。第一、何かに打ち込んでいる人にとったら、「今日何時間寝るか」よりも「今日何時間寝たとして〆切に間に合うか」が大事なわけですよ。つまり常に〆切なり何かを意識している。「眠いから寝る」なんて言語道断です。

忙しければ忙しい程一週間のスケジュールが細かくなります。一日のスケジュールも細かくなります。忙しくなってくると「ここで電車に乗ってる間にこの作業しよう」とか出てきます。いつもはぼーっとしてた時間が作業に割り当てられます。「忙しくて時間がないだってぇ!?時間とは作るものだ!!!」というがんこオヤジの言葉の意味はこういうことです。無茶なんてこれっぽっちも言ってません。

 

ちと偉そうに書きましたが、「自分から全部動くこと」「初めは無理をすること」を推奨します。後悔のないように!!

 

清里合宿感想

こんばんは。昔、給食で出たライチがマズすぎて吐いた覚えがあります。ガストンです。

 

4月28、29日とデ情の清里合宿に行って来ました。デ情の3,4年が参加できる合宿で、教授の方々も参加してみんなでバーベキューと飲み会をする合宿です。3年次編入生と仲良くなることが合宿の目的ですが、教授の方々と飲める少ない機会というのも清里合宿の魅力のひとつです。で、今日はその感想。

 

清里合宿、鬼クソ楽しかった。それはもともとバーベキューや飲み会が大好きなガストンには当たり前のことですが、いつもの飲み会とは違ったなーと感じたことが主に2つ。

 

・教授方とお酒が入った状態で話せる!

教授とサシで話すというのは研究室へおじゃますればできることで、僕も数回経験がありますが、お酒が入っているとなるといつもは話せないことが話せます。先生方はさすがと言いますか、酔っ払っていつもよりはっちゃけているようには見えませんでしたが、何せこっちは酔っ払って楽しくなっちゃってる状態で先生と話すわけですから、本音が言いやすい。いつもならちょっとブレーキかけたくなることも言えちゃう。

何が言いたいかって言うと、大好きな教授に「おれ先生みたいになりたいんすよ!!!」って言えて僕は嬉しかったです。ハイ、それだけです。お酒って素晴らしいですね。もちろん酔っ払っているからといって教授には失礼のないように注意しましょう。

 

・同級生とバトれる!

これは普段の飲み会でもよっぽど盛り上がればもしかしたらまたできるのかな、と思いましたが、僕は清里合宿で生まれて初めて「同級生とバトる(討論する)」ということをしました。自分のやりたいことやいつも思っていることについて、いつもは口にしないようなことを、清里合宿ではたくさん言えました。なんてったって自分のやりたいことについて教授と話したあとなので怖いものがなくなってるわけですね。「ドン引きされてもめんどくさがられてもいいから言いたいこと言おう!!」という気持がどんどん盛り上がってるわけです。周りはデ情ばっかりということもあって同じ将来を目指している友達もいるわけですから将来の話とか特に盛り上がりやすいです。

それに、3年生にもなるとみんななんとなく自分の意見ややりたいことに対する熱を持ち始めている気がします。今まで1,2年の間は教授と話す機会があっても何を話したらいいのかわからないことが多かったわけですが、3年にもなると話したいことが徐々に増えてきます。そうなると話したいことはどんどん話さないともったいない。清里合宿ではもうものすごい量のコアな話をしました。将来やりたいこととか、自分がどんな風に生きていきたいかとか、自分の得意なこと、不得意なことは何かとかとか…

そういう話がたくさんできた貴重な一晩でした。

 

清里合宿は、教授相手にしても友達相手にしても「熱く語る」のに最適な合宿でした。今までで一番楽しい飲み会でした。幹事をしてくださった先輩方、ありがとうございました。僕と話してくれた先生方、ありがとうございました。

プロのデザイナーってこういうことか

こんにちは、自分に鞭打って自分を追い込んで日々精進することが自分の幸せだと感じている根っからの頑張り屋さんが、そうでない人を「もっと頑張れよw」ってバカにしたなら、その時点でその頑張り屋さんは根っからの頑張り屋さんではないと思います。ガストンです。

 

いろいろありまして、今とあるweb制作会社でバイトとして働いています。誰でも知ってるような大企業から仕事をもらったりしていて東京の一等地に本拠地を構える結構大きなかっこいい会社です(そんなところでバイトしてるおれすげーだろ付き合って下さい)。

 

プロのデザイナーと一緒に仕事をするのは生まれてはじめての経験で、これがものごっついい刺激になってるんです。まだバイトが始まって間もないですが、今日はそこで学んだ「プロとしてデザインの仕事するってこういうことか!」と思ったいくつかのことをまとめマッシュ。

 

・納期を絶対に守る

今思えば、社会に出るというのは「絶対に」という言葉との出会いなんじゃないでしょうか。学生時代に絶対に、なんて言っても「もしできなくても死にゃしない」という暗黙の了解があります。学生の無断欠席なんて大した問題じゃありません。めっちゃ怒られたとしても単位を落としたとしても、結局それまでです。でも社会人は違います。もし納期をろくに守れなかったら取引先からの信頼をなくして、仕事もなくして、会社が潰れて明日食う飯がなくなって路頭に迷います。だから社会人は超本気です。仕事を確実にこなすためにできることは全部してます。この本気度が学生とは全然違うと感じます。

 

でもそれが社会人の常識なんです。そして学生はなるだけ社会人の常識を取り入れていかないと社会で上手いこといかないということです。

 

 

・いいもの作るの大前提。速度が大事

プロはすごいです。何がすごいって、納期を絶対に守るといいつつも仕事に手抜きもしないところがすごいです。

僕も経験がありますが、よくある学生の課題提出における妥協の例は、ギリギリまでやらない→ギリギリになってやり始めるが思った以上に時間がかかることに気づく→だが今気づいたところでもう遅い→しかし提出せねば単位もらえず→妥協だわっほい\(^o^)/  …という流れが挙げられます。

でもプロはスケジュール表とかびっしりしっかり書いてて、ギリギリにならないと初めない、なんてことしません。そもそも感情で制作を左右しません。ここがプロとアマの違いだと感じます。

そして、自分の満足いくデザインがなかなかできなかったら、満足いくまで残業してやり続けます。バイト先の上司からは仕事への熱意がひしひしと伝わってきます。素人の僕からすれば「そんな細かいところまで!?」とびっくりしてしまうようなところにも気がついて、直していきます。

そうすると、時間を守る、妥協もしない、が前提となっている(学生からすれば)ハイレベルな仕事は、速度が大事になってきます。ショートカットキーやちょっとした便利技などをいくつ知っているかの違いがデザイナーの年収を変えうるとさえ思えるくらい、人によって差がついています。早い人は遅い人の何倍も作業が早いです。僕みたいなアルバイトの人にとっては仕事が早いことによって時給が変わることはないかもしれませんが、自分の事務所を持って社長として頑張っているような人は、指示出しや仕事の効率化なども含めて速度が早いほど、1年間にできる仕事の量が違う=年収が変わるということです。プロ同士の間では、クオリティと速度(とコネの数)で差が生まれていると感じます。

 

 

・黙々と延々とやり続ける

これがプロと素人の違いを最も感じた点です。

プロの人は仕事を黙々と延々と何時間もぶっ通しでやり続けるんです。意味がわかりません。

 

僕のバイトの勤務時間は朝10時半から夜7時半まで(仕事終わらず大抵8時半になる)なんですが、正社員の方々は仕事が忙しい時期は夜の12時を超えることもあるそうです。ある上司は朝3時まで会社で仕事をして翌日10時に出勤、なんてこともあったそうです。美大生がなんとなく聞いていたデザイン業界の過酷さは少しも盛っていないリアルでした。

 

デザイン業界のリアルはさておき、僕が言いたいのはこういうことです。

学生は、やる気が出る出ないで課題をこなすスピードが変わりがちですが、前述したようにプロは感情による振れ幅が少ないです。ロボットのように黙々と延々とやり続けます。周りがそんなだから僕も10時半から19時半まで、お昼休憩ははさみながらもぶっ通しで割りとできちゃいます。

やる気出る出ないの有無を言わさず、やるもんはやる、というスタンスがプロの常識なのだと思います。

 

 

以上3点が僕の新しいバイト先で学んだ「プロってこういうことか」です。言わずもがな、僕はこのバイトを通して学んだことは家でやる自主制作や課題においても役だっています。「あ!やる気スイッチ切れた!否!バイト中だと思ってもうひと踏ん張りだ!」など、以前よりもずっとうまく頑張れています。ものすごーく進歩しています。今まで何度も何度も色んな手を使ってやる気を維持させる方法など考え続けて来ましたが、そのどれに比べても「プロの環境を肌で感じる」ということは効果があったようです。

 

何か変わりたければ、まず「環境」を変えるべきです。「意識」を変えても何も変わりません。