君が心配だ、ガストン。

webデザインを学んでいる理系美大生。

写真捨てまくった

こんにちは。「やる気が出ないときにやる気を出す方法」が一生の研究テーマです。ガストンです。もしそれがわかったら今度は「『やる気が出ないときにやる気を出す方法』さえやる気がしないときにやる気を出す方法」を研究しようと思います。

 

さっき、iPhotoから写真を捨てまくりました。3900枚近くあったのを1500枚くらい捨てて今2451枚くらいです。ここには2007年ごろから僕が自分の携帯で撮った写真などが全部入っています。5年で、2451枚です。これは多い方なんでしょうか、少ない方なんでしょうか。

なんでも、思い出を思い出す媒体(写真や手紙やプレゼントなど)に対する考え方がちょっと前から変わってきてます。以前に比べてガンガン捨てるようになりました。

 

思い出を思い出す媒体って、賞味期限というか、現在の自分にもたらす効果みたいなのがあって、それがなくなったら捨てていいと思うんです。

 

例えば僕はさっき、パリに行ったときの写真をがっつり削除しました。ルーブル美術館の雄大な姿も、教科書で見たゴッホの肖像画も消しました。見ても、そこで感じたものを思い出さなかったからです。ルーブルに行ったという事実やゴッホを見たという事実は思い出しても、そこで僕が何を感じたかは思い出さなかったからです。実際、「おおーこれが」としか思わなかった記憶があります。「美大を目指してるのにこんな感性の乏しい自分でいいのか」と思った記憶があります。

 

しかし、歩行者用信号の写真やルーブル美術館の中の池でカモが泳いでいる風景は残しておきました。理由は、そこで感じたものを思い出せる写真だったからです。信号の赤ランプのマークが日本と違ったことに対して感動しましたし、日本のでっかい公演と同じ風景がルーブル美術館の中にあることに対して「建物は全然違っても動物は一緒だな」と思ったことを思い出しました。その感覚は僕の中で優先順位の高い大切なものでした。

そういった、そこで思ったこと、感じたことを思いだせる写真は現在の時間を割いてでも思い出す価値があると思っています。現在の制作やら何やらに活かせるかもしれないからです。なので、ルーブル美術館の作品のアップ写真などは、「想像以上に何も感じなかった」という発見を思い出すために一枚だけ残しておきました。

 

「そこまでして理由をつけてせっかく撮った写真の数を減らさなくとも」と思われるかもしれませんが、写真が多すぎるとたまに思い出に浸ろうとしたときに見返す気すら失せてしまうので、僕はたまにこうして増えすぎた写真を削除しています。「『記念に』なんて言ってバシャバシャ撮ってiPhotoという名の押し入れに入れられて見返されることもなく永遠の眠りにつく写真たちの魂はどこへ行くんだ!!!!そんな生き恥晒すくらいなら今この手で殺してやる…!!価値ある者のために…死んでくれ」「了解しました。若様。」「カチッ」

という流れになります。

 

あと、この思い出の消費期限は間をあけて思い出すことで長持ちする気がします。誰かからもらったプレゼントや記念写真などを部屋に飾って毎日嫌でも見てしまうようだともはやただの部屋の装飾となり、思い出を思い出す媒体としての効果は最初からあってないようなものです。何ヶ月または何年というスパンで間隔を空けないと、自分が変わっていないからです。「今はこうだけど以前はこうだった」と感じることが思い出の意義なんじゃないでしょうか。