君が心配だ、ガストン。

webデザインを学んでいる理系美大生。

実名でブログ書いてたら図星つかれた

おはようございます。もう夏だと思ってロングソックスからくるぶしに変えたけどクーラーが聞いた店内ではまだまだくるぶしが寒いです。ガストンです。

 

今日は実名を晒してブログを書いてたらおもいっきり恥をかいたお話だよぉ。つらかったよぉ。

 

1.いいとこ見せたいクソ野郎

なんてったってこのブログでは日々思ったこととかなるだけ正直に書いているわけですが、そうは言っても思ったことなんでもかんでもそのまま書いているわけじゃないです。例えば僕の人生は主に「やる気でねえちくしょう」→「やるしかねえちくしょう」→「やってやったぜ今のおれかっこいいぜ」の繰り返しで成り立っています。で、主にブログに書くのは最後の部分、つまり自分に自信が持てているときだけです。今の自分がどれだけだらけているかなんて書いた所で「こいつクソ野郎だな」とおもわれるだけだからです。そんなの嫌です。周りの人には自分のいいとこだけ見せてたいというのが本心です。もちろん。

 

だから自分の意見を書く時はその意見に自信を持ってるときだけです。書きながら「ホントは逃げてるだけだよなオレ」とか思いだしたら書くのやめてます。

 

2.当時は自分でも気づかないバカ野郎

でも、そうやって書くことを選別していたつもりが、過去の記事を見ると「過去のおれバカだな」と思うことがあります。過去のツイートが超絶恥ずかしい経験と同じです。

 

こないだ、先生にこの上ない図星をつかれました。「こいつ舞台作るサークルでリーダーやったからって調子に乗って、もう自分はグループワークのいろはがわかったつもりになって、最近はオーキャンでも授業のグループワークでも一歩引いて見てるような態度になってる」と…

いやもう死ぬかと思った。これに関する詳しい説明は省略するとして、とりあえず調子乗ってたことを見抜かれたわけです。図星つかれるのってすごくつらい。自分でも薄々気づいててちゃんと反省してるつもりだったのに、誰かに言葉で言われてはじめて突き刺さるものがあった。穴があったら入りたいというのはこういうことを言うんだなと思った。泣けるものなら泣きたいくらいだった。

 

その先生は僕の書いているブログを読んでいました。僕が前に偉そうに書いた記事も全部見ていました。僕がサークルで代表をやったことも、それで調子に乗っていることも、それ故オーキャンでは全力になっていなかったことも、全部僕が当時何も間違ってないと自信を持って記事にしたことです。バカだからその記事が恥ずかしいことを書いているということに気づいていなかったわけです。全部赤裸々に記事にしてるわけですから、先生がそれを知っていても何もおかしくありません。先生に図星をつかれても何もおかしくありません。

 

3.それでも続けるガストン

僕はこういう経験は実は多いです。「あのときの君は何を言ってるのかわからなかった」とか「あの頃は、あたし君のこと心配してた(真顔)」とか「あの頃の君はまじでクソだった」とか、本当に言われる度死ぬかと思った。しかも割りと定期的に言われるもんだから、いつまでも僕は未熟なんだなあと思う。自分の意見を綴るブログを書きだしたのも、「もう僕は未熟じゃない。つらいこといっぱい経験して人として成長したから、もう誰かに真顔で心配されるような人間じゃなくなった」という自信があったから。偉そうに自分の意見を記事に書くのも、自分が人としてそこそこ成長してると思ったから。

 

でも自分なんてまだまだだった。その証拠にこないだ先生に図星をつかれた。今までブログに書いてた記事が僕の無知を晒していたから逃げ場がなくなっていた。言い訳のしようがない。

 

とてもつらいことではあるが、そういうとき、図星をつかれてよかったといつも思う。言ってくれてありがとうといつも思う。図星をつかれて心から恥を感じてはじめて強く反省できる気がする。自分で黙って過去の醜態を反省するのとは、インパクトが随分違う。痛い図星をつかれた時のことは、誰にどこでどんな口調で言われたか鮮明に覚えている。

 

結局、「あの頃の君はバカだった」なんていつまでも言われ続けるんだろうと思う。それでもブログは続けようと思う。いつまでも未熟な僕に唯一できるのは未熟なりにあがき続けることだと先生は言ってくれた。後で恥をかくのを恐れて口を閉ざしてもだれも図星をついてくれない。思ったことはメンタルが持つ限り書き続けようと思う。誰かが「君が心配だ、ガストン」と、そう言ってくれることを望んで。(←う、うまい…うますぎる…)