君が心配だ、ガストン。

webデザインを学んでいる理系美大生。

おれは常に動機がクソ

こんにちは。最近Indesignが使えるようになったグストンです。Indesignめっちゃ便利です。ポートフォリオ作成には必ずイラレではなくインデザですね。

 

さて今日はコアなつまらない話を。

 

デ情っていうのはいろんなことをやる学科で、グラフィックもやればwebもやるし音響もやるしで、「なんでもできるけどなんにもできない」と言われたりします。これといった専門分野を自分でしっかり決めないとどれも中途半端で終わるということです。卒業制作を見ればその出口の多さがわかるんですが、商品立案してる人もいればインスタレーション、絵本、デザイン論、映像などホントに様々です。

 

で、僕はまだ「これだ!!」っていうものがないというか、一応webが一番好きだなと思っていて将来はDeNAとかのIT企業行けたらかっけーなあと思ってはいるんですが、実はその動機の多くは「これがやりたいから」ではなく「これやっとくとまあいい感じなんじゃない??だよね??」というのがあります。クソみたいな話だよ今日は。

 

そもそも、やりたいことが明確にあってそれをやるために建築学科なり空間演出デザイン学科なりの「専門分野が明確にある」ところに入った人はさぞ幸せだろうなと思うわけです。やりたいことできる。生まれてきてよかったと思えるだろなーと羨むわけです。

だって僕はやりたいことが明確にあってデ情に入ったわけでもなければ、やりたいことが明確にあってムサビに入ったわけでもなければ、それなりの理由があって大学に入ったわけでもなければ、好き好んでこの世に生を授かったわけでもないんですよ。根本の話になっちゃいますけど、そんなこと考えちゃうわけですよ。

 

大学に行く理由だって、周りの人がみんな大学に行くと言うし、そういうもんだと思うじゃん??親は大学に行け!なんて言わなかったけど、でもやっぱそういうもんだと思うじゃん??で、どうせ大学行くならおれ小さい頃から絵を描くの好きだから美大にしようと思ったわけですよ。

そうして明確な目標を持って、受験勉強に明け暮れた日々はまー幸せでしたよ。すんごく幸せでしたよ。寝ても覚めても暇さえあれば勉強して、勉強が「時間の使い方の正解」だと信じて疑わずにすみました。「おれやるべきことやってる」「周りの人みんなが偉いねと思ってくれてる、認めてくれてる」と思えたら僕は幸せなのです。勉強は楽しくないし面倒だったけど、「これさえやっていればいい」という思い込みは自分を嫌いにならずに済みました。自分を好きでいれることが、他のどんな楽しいことよりも僕にとっては幸せなのでした。根本的に自分大好きですから。

 

でも大学に受かって春休みになった途端、目標はなくなってしまいました。目指していたゴールがなくなって360度見渡す限り道さえなくて荒野にぽつんと立たされたかのような状態です。必死こいてたくさんのことを我慢して受験を乗り切った、という感覚もないので、春休みに友達と遊びまくりたいともあまり思えませんでした。迷わず僕は春休みに教習所に通いました。車の免許はいつか必ず必要になるだろうし、その日のために今のうちからやっとくといい、そういうもんでしょ??と思ったからです。受験勉強と全く同じ動機です。「これが一般的な正解」だと思えれば僕は盲目的に努力できるし、それだけで「おれ、やるべきことやってる」と幸せになれるのです。「人生の過ごし方の正解」を常に求めていて、自分の意志などなく、盲目的に目標に向かって走り続ける。なぜならとにかく走っていたいから。走り続けてさえいれば自分を好きでいられて幸せだからです。恐ろしい考え方だとは思いますが、もう僕はこういう人間なんだと割りきってます。

 

人生って長い暇つぶしだと思います。家に引きこもって親に衣食住をもらいゲームばかりして何十年と過ごす人もいれば、世界中の人を感動させる映画を作る人もいます。だけど、全員スタートは同じで、気づいたら生まれてたわけでしょ??その中で自分のやりたいこと見つけて、自分のやってることにある程度満足して生きられるというのは本当に羨ましいし尊敬する。やりたいことがないというのはとてもつらいです。わからない人にはわからないだろうけど。

 

昔から、超一流のデザイナーとかアーティストとか別の職種でもとにかく「偉い人」がテレビで特集されていると、「こういうことすると人にこうやって褒められるのか」「これを目指せば正解か」とか思ってしまってました。動機はいつも「いいもの作りたいから」ではなく「そういう風になりたいから」なんです。動機として後者が前者より不十分であり弱いものであるとわかってますが、どうしても僕は後者なんです。僕は、なんで大学の課題を提出するのかというと、将来一流のデザイナーになりたいからじゃなくて、自分を好きでいたいからなんです。

epa!に打ち込んでいる間も没頭できて幸せでしたが、それさえ「いい舞台を作りたいから」ではなく「没頭している自分が好きだから」です。舞台というものが多少好きだから没頭できたというだけなんです。没頭さえできて打ち込めて、自分を好きで入れたらそれでいいんです。こんなこと 言って一緒に頑張ってた友達に失望の目で見られても仕方ないですが、僕はそういう人なんです。動機はいつだって自分中心です。人生っていう規模で話をしてもここは変わらなくて、僕の生涯を通しての生きる目標は自分を好きでいることに尽きるんです。

 

そこまで言いながら、課題は遅れ提出したり、計画通りにこなせず満足いかないクオリティで、それでも単位のために渋々提出したりしています。こういうとき自分が嫌いになります。満足いかないものだったとしてもとりあえず提出して単位を取りたがる理由さえ「とりあえず大学って出とくといいもんなんでしょ??」というものでしかないからです。自分を好きでいたいという理由がすべての原動力のくせに、「眠いから二度寝」とか「やる気でないから課題に手を付けない」とか平気でやっている自分が未だに意味がわかりません。矛盾しています。それでも自分好きでいたいから、なんとか二度寝しないライフハックややる気を出す方法などを全力でそれこそ死に物狂いで考えたりします。死に物狂いで作品を作っているような美大生に、死に物狂いでやる気の出し方考えてる美大生が敵うわけ無いと思いますが、それでもそうするしかないんです。

 

もっと言うと、めちゃくちゃ不謹慎だけど、今この瞬間に僕の半径5メートル以内に原爆が投下されて一瞬で死ねたらさぞ幸せだろうと思います。「人生の正解」を求めてめんどくさがりながらも走り続ける必要がなくなるからです。現代の若者の一人はここまで落ちぶれてるんですよおばあちゃん。ひどいでしょ。

 

この記事を読んで「こいつ何甘えたこと言うてんねん。意味わからん。なんで美大通ってんねん。死ねクソ」とか思う人がいるだろうけど、僕と違って意志がしっかりしているそういう人が本気で羨ましいし、そういう人の気持ちがマジで理解できない。かなり根本的なとこから違うんじゃないかとさえ思う。すごいね。僕みたいなやつのことはほっといて先に進んでおくれ。

 

 

時々、「ぐっさんは将来のこととかデザインのこととか結構考えててすごいね」とか褒めてくれる人もいます。すっごく嬉しい。「やった、やっぱりこれまでしてきたことは正解だった」と思える。でも褒めてくれてた人には残念だけど、蓋を空けてみたらその動機はこんなにクソみたいなものなんですよ。しかも、実は基本的にやる気のない矛盾した人間で、実際に自主制作とかあんまりしてないんですよ。全ては「自分を好きでいる」ためなんですよ。でも、このクソみたいな動機こそ山口という人間の結構大きい部分であり、僕のベースなんです。

 

何をかっこつけて言ってんのかしらねうひょひょ。

でももし、僕と似てる人が僕と同じで「おれほんとクソだなー!!」と思っている人がいれば、「大丈夫。おれも同じだよ。おれもクソだよ。でもスタートラインなんてどうでもいいじゃん。だから一緒に開き直って『正解』目指して自主制作なり課題なりがんばろう」と言います。

 

動機がなんであれ、『正解』はきっと人を幸せにすることだと思って邁進いたします。