君が心配だ、ガストン。

webデザインを学んでいる理系美大生。

こんな引き継ぎ資料はだめ

こんばんは!突然ですがここでガストンクイズです!!問題:気づかないうちについつい棚の上に上げてしまうものってなーんだ?答え:「自分のこと」…ガストンです!!

 

こないだ、学校のあるイベントの引き継ぎ資料を作成しました。引き継ぎ資料とは、自分が今年やってみて反省したことなどを来年同じイベントをするときに後輩に役立ててもらうための資料です。

 

僕は自分が担当したwebに関する引き継ぎ資料を書く前に、他の人が既に書いた引き継ぎ資料をちらっと読んだんですが、正直、「これじゃあ読んだ所で注意を促すだけで終わってしまうのではないか」と思う引き継ぎ資料が多かったと思います。

 

こういう文章には意味が無い

こういう文章を引き継ぎ資料やその他いろんな場面で使う人がいますが、まるで意味がないと思います。

 

・どっちつかずの意見

例えばこんなものです。

「こういうことがあって困った。このときこうしていればよかったと思う。でもそうなると今度はあれがああなってしまう可能性があるのでそっちも気をつけないといけない」

 

こういった、どっちつかずなことを言いたくなる気持ちはよくわかりますが、こんなことを言われても「じゃあ結局どうしろっていうんだ」となってしまいます。

引き継ぎ資料を作る人には、一度経験した者として「どっちをとるべきか」という決断をする責任があります。後輩は、こんなどっちつかずの正論を聞きたいんじゃありません。「もし先輩が来年もするとしたらその時はどうしたいですか?」という問に対する明快な答えが欲しいのです。

 

 ・抽象的な表現

抽象的な表現とは、例えば次のようなものです。

「もっと早くから始めておけばよかった」

「もっとしっかり決めておくべきだった」

「もっと愛想よく、大きな声で挨拶した方がよかった」

「想像以上に予定がずれることが多かった」

「できるだけ定期的に先生に聞くべきだった」

これらは、全く意味がないとは言いませんが、後輩が読んだ時にピンと来るかと言えばそうではないでしょう。

 

「もっと」「早く」「しっかり」「案外」「意外と」「できるだけ」「定期的に」「徹底する」などなど、こういう抽象的な言葉を使いたくなる気持ちもすごくよくわかりますが、後輩がこういう文章を読んでも「先輩はその時そう思ったんですか〜」と感じるだけです。もし「わかりました!早め早めに動きますね!!」なんて納得したように言ってる人がいたとしても、その人は具体的なスケジュールが組めていないことに危機を感じるのが遅い人です。

 

先輩方が平気でこういった抽象的な言葉を使ってしまえる理由は簡単です。 抽象的な表現自分たちが一度経験していて、それと比較して言っているからです。

 

「もっと〜」なんて引き継ぎ資料で言われても、後輩が読めば「どれと比べて『もっと』なの?」という疑問が浮かんでしまいます。去年の様子を知らなのだから仕方ありません。

 

「もっと」以外にも「早く」「しっかり」「意外と」などの言葉も、自分たちの経験をベースに発している言葉です。自分たちが一度経験した中で感じたことというのは、本人たちが思っている以上に膨大な量があります。先輩は「なんとなくわかるでしょ?」と思いながら書いているかもしれませんが、後輩には「全くわからない」のです。

 

・具体的でない提案

具体的でない提案もよくやってしまいがちですが、あまり効率的とは思えません。具体的でない提案とは次のようなものです。

 

「意思疎通をもっと頻繁にとるべきだった」

「忙しいときは周りを頼るべきだ」

「スケジュールは前倒しで組むべきだ」


これらは一見意味があるように見えて、具体性が一歩足りないため、実際には役に立たない場合が多いです。その一番の原因は、後輩が引き継ぎ資料を見るのは最初だけで、忙しい時期になってくると引き継ぎ資料よりも目の前の状況を見て解決策を考えるからです。

後述しますが、やっているうちに現実的なビジョンが見えてきます。「先輩が言っていたのはこういうことか」と気づくことが、イベント本番が近づくにつれてどんどん増えていきます。そうなってくると当人たちは引き継ぎ資料を掘り起こすことなど全くせず、今目の前で起こっている状況を見て、どうすべきか判断し、勝手に行動に移していきます。

 

そうなったとき、引き継ぎ資料でできることはやはり具体性を高めることです。単に「意思疎通をもっと頻繁にとるべきだった」と書くのではなく「1日1回は必ず全班と連絡を取り合うべきだった」と書いていればどうでしょう。

本番が近づき、当人たちが目の前のことをこなしていくことだけで精一杯になっていて、「できるだけ」をやることしか考えられなくなっている状況で、「先輩の反省」と比べることができます。先輩は「1日1回連絡とった方がいいよ」と言っていたな、今の自分はできていないな、じゃあやろう、と思い立つことができます。

 

もしこれが単に「もっと頻繁に」としか言われていなかったら、危機感を感じることはできなかったでしょう。具体性を高めることの最大の利点は、現在の自分と引き継ぎ資料を比べることができることです。

 

 ・「できれば」

引き継ぎ資料にこの言葉は使わないようにしましょう。先にも述べたように、先輩は後輩に「こうやった方がいい!」といってあげる必要があります。例えばwebなら、「スマホ用サイトはできれば作ったほうがいい」と言うのではなく「スマホ用サイトは必ず作ること!!」と言い切ってしまった方がより後輩の記憶に残る言葉になりますし、後輩もその重要性を理解することができます。

学生は怠慢なもので、「やらなくてもいいならやらない」くせに「やれと言われたらやる」傾向があります。

「できたら」を「やらなくてもいい」と受け止め、「やらなきゃだめ」はそのまま「やらなきゃだめ」と受け取ります。

 

また、「できれば」という言葉を使わずに文章を書こうと試みることで自分の意見をはっきりさせなくてはならない場面がいくつも出てくるはずです。

これにより、いっそう中身の充実した引き継ぎ資料になることでしょう。

 

 

文章は読まれるためにある、が、引き継ぎ資料は読まれることがゴールじゃない。

僕 が文章を書くとき常に気をつけていることですが、文章は読まれるためにあります。このブログでも、徹底的に読みやすさを考えながら書きます。でも引き継ぎ資料はただの文章 ではありません。そこには明確な意図があります。実際に来年のイベントをもっとよくすること、それが引き継ぎ資料のゴールです。

 

仮に後輩の方々にどれだけ熟読されたところで、このゴールを達成できなければ意味がありません。先輩の失敗を繰り返さないようにしながら毎年クオリティが上がっていくことを狙って引き継ぎ資料は作られているはずです。

 

ではそんな「実際に役立つ」引き継ぎ資料を作るにはどうすればいいか。

 

僕は、自分が担当したwebの引き継ぎ資料を書くときは色々なことに気をつけました。太字を入れたり文字の大きさを変えたりして読みやすくしたし、カテゴライズしてまとまりで分けて、まとまりの順番にも工夫しました。

見た人がパッと見て同じ大きさ、太さの文字が長々と書いてあるのでは読む気が失せてしまうと思ったからです。

自分が後輩に、何をどうして欲しいのか伝わるように工夫しました。この文章は誰に読んで欲しいのか、読んだからには何に注意して欲しいのか、できるだけ具体的に書きました。

webのことでわからないことがあれば連絡をくれるように自分の連絡先も載せました。すべて「実際に来年のイベントがよりよくなるため」です。

 

抽象的な感想より具体的なデータがものをいう

実際に役立つ引き継ぎ資料とはいったいどのようなものでしょうか。例えば、

 

【反省点】「会議が長引くことが多かった」「受付の練習が足りなかった」「スケジュールがかなり押してしまった」etcetc...

 

の ような「言われてもピンとこない」文章が続く文章よりも、「この日このデータを入稿した」「この日webをここまで公開した」など具体的な活動内容を書い たカレンダーや、「パンフレットは◯◯部発注して◯◯部さばくことができた」などの具体的な数字を伴うデータを見たほうがよっぽど効率的です。

 

では引き継ぎ資料はわざわざ文章を書かなくても、いつ何をやった、というデータだけ残せばいいのか、というとそうではありません。

ここで、引き継ぎ資料の本質を考えてみましょう。

 

引き継ぎとはビジョンを見せることだ

引き継ぎ資料には具体的なデータにプラスアルファでとても重要な役割があります。それはビジョンを見せる、ということです。

 

引き継ぎの、というか毎年あるいは定期的に行われるイベントが、毎年クオリティを上げていくには毎年同じ人たちがやるのが一番手っ取り早いでしょう。同じミスをせずにどんどん学習していくからです。しかしそれができない場合も多い。だから「経験」を 引き継ぐんです。引き継ぎ資料の本質は、来年初めてイベントをやる後輩にまるで去年やったかのような経験を与えること、つまりビジョンを見せることです。

 

箇条書きより「ストーリー」がいい!

ビジョンとは、言い換えれば現実味を与えることです。具体的なことを最後にまとめて箇条書きにするならまだしも、抽象的な言葉を箇条書きにすることはまるで意味がありません。意味がないのに箇条書きにするとたくさん書いた気になって役立ててもらえる様に錯覚してしまうのでタチが悪い。

僕は「こうする予定がやっているとこうなったので(反省)こうすることにした(改善点)が、最初からこうしておけばよかったと思う(改善点)」のように、ひとつひとつの具体例に対し一連の流れをつかめるよう意識して資料を作成しました。こういう書き方の方が、箇条書きよりも読み手に「想像力」を掻き立てると思ったからです。

 

具体的な例をひとつあげます。webの更新に伴うバグ確認を徹底しておくべきだったという文章を書いたのですが、これをもし箇条書きで書いてしまったら

 

【反省点】メーリスで手の空いている人はバグ確認をするよう促した

【改善策】バグ確認をする人をあらかじめ決めておくべきだった

 

という風になると思います。これでも十分意味のある資料だと思いますが、次のように書くとどうでしょう。

 

【バグ確認を徹底すべきだった】

バグ確認に関して、メーリスで「アップロードしたからできればみんな確認しておいてー」と呼びかけるだけという適当さだったため、あまりみんな積極的に確認してくれなかった。バグ確認をする人をあらかじめ決めておくべきだった。

 

この文章を読むと「メーリスを回しているのに、みんなあまり積極的に確認してくれないことによってちょっと落ち込むガストン」の姿が想像できるかもしれません。想像とまでいかなくとも、「『アップロードしたからできればみんな確認しておいてー』では確かにおれも確認しないかもー」という感覚を与えられるかもしれません。

 

このように、箇条書きではなくストーリー仕立てで書くと共感や想像を与える余地ができます。

 

あるいは会場受付の引継ぎ資料で、来場者が少なかったことを述べる文章を書くなら「あまり人がこなかった」「初日の午前中は5分に一組くるかこないかぐらいだった」

と書くよりも、

「基本的に受付から廊下を見渡していても来場者の姿はなく、見えるのは共通のTシャツを着ているスタッフのみだった。5分に一組来たらいい方だった」

と書いたほうが、「うわ、それは寂しい」と読み手が想像できるでしょう。

 攻殻機動隊に出てくるような電脳を僕らは持っていませんから、見た映像を誰かにそのまま見せることはできません。しかし言葉を上手く使えばかなりそれに近いことができます。小説家が書いた文章を読んでいると、実際にそこには文字しかないのに、風景や心情をとても鮮明に想像することができます。

 

まとめ

想像以上に長くなってしまいましたが、まとめると

よい引継ぎ資料とは

具体的な改善案と、より現実的なビジョンを与えることができ、

それを読むことで実際にイベントのクオリティの向上につながる資料

だと言えるでしょう。